「高専46年の歩み」
やしま学園高等専修学校校長 谷口 充
当校は昭和41年(1966年)に大阪府堺市に八洲学園の5番目の学校として設立された鳳経理専門学校の高等課程を元とした高等専修学校です。
当時は2年制の各種学校であり高等課程も70人の生徒数であることが今でも保存されている学籍簿でわかります。その後は生徒数が減少し専門課程の生徒が2部を含めて50人程度で推移していきました。
10年後に15歳人口の増加と高校進学率の高まりで技能連携制度により通信制高校の卒業資格の取得が可能となったことにより高等課程の生徒数が増加に転じていきます。
昭和51年に28人の入学者が53年(1978年)には110人になり、さらに58年(1983年)には278人という人数に急増していきます。この間昭和51年に学校教育法の改正で専修学校制度が発足し従来の各種学校が専修学校となり設置学科により名称も変更されていきます。
鳳経理専門学校も昭和54年(1979年)に鳳経理専門学校(現通信制高校事務センター) と鳳経理高等専修学校(現やしま高専)の2校に独立運営されました。また昭和55年には高等専修学校の運動用地に体育館を建設しました。(現堺本校)
因みに昭和58年(1983年)における高等専修学校の在籍者数は635人を数え、1クラス55人という超過密なマンモス校となっています。
初代校長にして理事長であった和田秀一先生は学校だけでなく専修学校の教育振興と発展や地元大阪の専修学校の団体設立にも力を注ぎ夫々理事長も歴任されています。
しかしながら生徒の急増は遺憾ながら退学者の増加にも繋がりました。 初代校長の後を継いだ永田修二校長(就任昭和59年)は何とか高卒資格だけはと強く思われ(当時は九州の広域通信制高校との技能連携)法人内で通信制高校を設立という考えが固まりました。就任早々永田先生は東奔西走し折りしも通信制高校の設置基準が緩和されたことも相まって今日の八洲学園高校が設立されたわけです。(平成4年1992年に開校されましたが設立願いは昭和62年1987年に遡ります)
以降高専の生徒数は激減しますがそこで浮かび上がってきたのがLDでした。結果論になりますが在籍する生徒にあわして今なにが教育で必要かを皆で考えた末のものです。
当校は1997年より支援教育を実践し平成13年(2001年)には専攻科も併設しさらに生徒学生と向き合いながら進化していきます。
高専46年の歴史は常に全国に先駆けた技能連携であり、高等専修学校であり通信制高校であり、さらには支援教育でもあります。従来にない常に新しい教育を考えることが八洲学園の良き伝統であることは今日に引き継がれています。
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