岩井 貴生
高校生活で中心となすものの一つは、友情の営みです。広域通信制の本学の場合は、1年間に1週間程度の沖縄短期集中スクーリングですから、全日制高校のように友達と毎日接することはありません。だからといって、友情関係が希薄とは限りません。むしろ、同じ宿舎で寝泊りし、学習、食事等を伴に行動するなかで、生徒さんたちはお互いすぐに打ち解け、助け合いそして支え合いながら、「高校卒業」という共通の目標に向かって、とても充実した質の高い時間を過ごしています。
友情を営むにあたって、時間の長さはあまり関係ないようです。では、友情関係とは何を意味するのでしょうか。先哲者たちの言葉をいくつかあげてみましょう。カントは「友情関係は同等の関係である」、アリストテレスは「相互応酬的な厚意が友情である」、孟子は「長を頼まず、貴を頼まず、兄弟を頼まずして友たり」といったようなことを述べていたかと思います。
これらのどの定義からも理解できることは、年齢、富貴といったようにどちらかが優位的となるような友情以外の利害関係があれば、友情は成り立たないということです。友情とは相互的に平等関係でなければいけません。そして相互的平等関係が成立するためには、お互いが「尊敬し合う」ことが必然となります。つまり、相互が主従的関係であれば友情は成立しません。カントによると、友情は「敬愛」と「尊敬」との内面的合一があって初めて成り立つものです。尊敬はお互いの距離を保ち、敬愛はお互いを引きあわせます。この「反発」と「牽引」という相反する各原理が合一するところに、友情は芽生えるのです。そこには相互の最大利益を目指す関係はありません。むしろ、純粋な心情に根ざした交互関係のみが存在します。
さて、本学の生徒さんたちの場合、年齢層も幅広かったり各自のバックグラウンドも様々であり、上下関係が簡単に発生してもおかしくありません。しかしながら生徒さんたち同志は本当に相互に平等であり、そしてお互い尊敬し合っています。それゆえに、本学の生徒さん同士の関係はとても友好です。それは、それぞれの空間や距離感を尊重し、必要以上立ち入らないといった大人のマナーと振る舞い、そしてカントの「敬愛と尊敬との内面的合一」を無意識のうちに多く生徒さん達が実践しているからに違いありません。
生徒さんがこのような「敬して和する」友情を本学で営む事ができるのも、ひとえに本学の教職員たちが学校の学習・生活環境を生徒さんたちために快適にしようと日夜惜しまず尽力をしてくれているからです。本学の教職員たちは、一昼夜問わず生徒さんたちのことを常に第一に考えています。私は、毎日教育に体当たりしている本学の教職員たちを、心から誇りに思っています。また、素晴らしい先生や職員たちといっしょに貴重な高校生活を過ごすことが出来る本学の生徒さんたちも、幸せな高校生だと思います。八洲学園大学国際高等学校は、打算主義や利害関係を超えて授業や学校行事などを通して、生徒さん達が相互に平等で尊敬し合う真の友情を営むことができる学び舎なのです。 |