八洲学園大学トップ > 新着ニュース > 中田雅敏先生の退任について

新着ニュース

中田雅敏先生の退任について

2023/03/31

中田雅敏先生が、本年度(令和4年度)末をもって本学教授を退任されることになりました。

中田先生は、本学開学時から長きにわたり本学の教育研究に寄与されました。先生の教えを受けた多くの卒業生・終了生は全国そして海外で活躍されています。そして、その輪は現在も広がり続けています。

長年にわたる中田先生のご尽力に感謝し、略式ではございますが、ここにお知らせいたします。

以下は第28回学位記授与式後に来校した卒業生へ送られたメッセージです。ぜひご覧ください。


卒業生へのメッセージ

 ご卒業おめでとうございます。今後の皆様の更なるご活躍と新たな学びの目標に向けて進んで下さい。倦まず、弛まず、怠らず、御身ご大切になさって下さい。

 私も今年度で八洲学園大学を最後に退職をさせていただきます。二十二才から七十八歳までの五十五年間の教師・教員としての生活を閉じ、家職の農業に従事いたします。高校教員三十年間、大学に務めさせていただいた期間二十五年間となり帰農いたします。

 退職の思いを卒業生の皆様にお話しできる時間をいただきましたので少々お時間をお借り願います。私は埼玉県のある村の生まれで、その後の町村合併により町から市へと住居表示も変わりました。人間の生涯も自分が思ったようには参りません。周囲の変化に順応しながら初志を成しとげる努力が必要です。

 幕末の頃にそういう努力をして偉業を成した三人の人生をすこしだけお話しさせていただきます。埼玉県の山裾の都幾川村、今では児玉町となっています。ここに生を受けた三人の少年がおりました。一人は障害をもった全盲の少年、一人は貧しい百姓の九男、一人は小さな藩の家老の三男、いずれもこの三人の少年には明るい将来は期待できませんでした。寛政・文化、という江戸幕府の終焉期に生きた方々です。三人の少年は十三歳頃に在る志を立て江戸に出ることを考えました。百姓の少年と盲目の少年は語らい合ったわけではありませんが、江戸に出る途中で難儀をしていた盲目の少年と百姓の少年がばったり出合い、それから二人は手を取り合って江戸に出て参りました。

 百姓の少年は江戸に出るや何の仕事も嫌がらずになし、やがてお金が貯まったので、御家人の家(株)を買い、幕臣となるや様々な働きをし、やがて旗本株を買い、根岸家を名乗り更に目ざましい働きをした事から幕閣の目にとまり、勘定吟味役に抜擢され、佐渡奉行勘定奉行などを歴任し、寛政十年江戸南町奉行、北町奉行を努めました。無論この間、山田伊勢奉行、京都町奉行などを努めたことはいうまでもありません。根岸肥前守鎮衛となり、浅間山の大噴火には関東一円の奉行職、郡代職を指揮して今の嬬恋(つまごい)村を新らたつくり出し、農地を失った百姓に田畑を与えました。晩年には古老や訪問客から聞きとった事項をまとめた『耳(みみ)嚢(ぶくろ)』を残しました。森鴎外はこの本に材を取った多くの小説を残しました。

 さて盲目の少年は七歳の時に失明しその後全盲となってしまいました。江戸に出てからは検校雨宮須賀一に入門し和歌を萩原宗固に故実を山岡浚明に国学を加茂真淵にまなび、寛政五年には和学講談所を開設し『群書類従』『武家名目抄』などを編集し多くの著書を残しました。やがて幕府の設けた多くの「検校」職の最高位の「総検校職」に就きました。号を「水母子」と名乗りました。根岸鎮衛と塙保己一とは江戸に出て来る途中に出合い、三人が亡くなるまで教え合い、伝え合い、話し合って知恵を絞りあった学友・盟友でありました。

 さてもう一人の少年は都幾川町から秩父の山をすこし超えた岩村藩という小藩の家老の三男でしたので、この方も先の望みはなく、山を越えて来て、この二人と知り合い、三人の少年は江戸に上ることを相談しました。幼少の名は捨蔵・幾久蔵と名乗っていました。三人の幼名や号名はいずれもそうした将来のことを失望したような名でしたが、佐藤一斎は江戸に出ると藩主松平乗蘊(のりもり)の第三子の遊び相手となりました。しかし藩主の子と言えど第三子でしたのでこの方も林家に養子に出されました。そこで捨蔵少年も一緒に行って二人で学問に励みました。やがてこの主君の子は擢んでた優秀な少年であったところから大学頭林簡順の養子ということもあって大学頭林述斎となりました。捨蔵は一斎を名乗り、二十二歳で簡順の門に入り、のちに述斎が大学頭となるや一斎は師弟の礼を取り、三十四歳塾頭となり、述斎が七十四歳で卒去されたので捨蔵(一斎)は七十歳で大学頭となり八十八歳で没しました。捨蔵は実に生涯学問に努め、昼夜分かたずに励み、泰山北斗と推称され「陽朱陰王」の評を受け『言志四録』を残しました。「立志も亦之を強うるに非ず只だ本心の好むに従うのみ」とあり更に「立志の功は恥を知るを以て要と為す」「太上は天を師とし、其の次は人を師とし、其の次は経を師とす」とあります。読むたびに冷汗三斗の思いに迫られます。中でも「少にして学べば則ち壮にして為すことあり。壮にして学べば則ち老いて衰えず。老いて学べば則ち死して朽ちず」とある条はかの西郷南洲が座右の箴として維新の志士に愛読させたと伝わっています。ぜひとも『言志四録』を愛読して下さい。中国の泰斗朱子は「学ばされば則ち老いて衰う」とも言っています。今ではこうした学びを「生涯学習」といっています。卒業まことにおめでとうございます。しかし「学び」に卒業はありません。御身ご大切になさって下さい。


*中田先生へのメッセージは学生支援センターでお預かりいたします*
メール:u-info@yashima.ac.jp
FAX:045-324-6961
住 所:〒220-0021 神奈川県横浜市西区桜木町7-42

八洲学園大学パンフレット ※八洲学園大学の各種資料をダウンロード頂けます。

ご希望の資料はPDFでも閲覧可能です。
PDFファイルを閲覧するには、Adobe Acrobat Readerをインストールしてください。

資料請求・お問い合わせ 資料請求・お問い合わせ
ページトップへ

このページの先頭へ