正義
2007/10/15
今回は、「わたしの正義」についてです。
かつて、子どものころ、正義は単純に考えていました。考える道筋を知らずとも、正義の味方...月光仮面、正しい事をやりとおす...赤胴鈴之介、というように、正義は感覚の世界で瞬時に描けるものだったのです。しかし、正義とはそのように一面的な見方で存在するものではないことを、成長するにしたがって、知っていくことになりました。自分がいくら正しいと主張しても、人はそのようには思わないこともあるのでした。正義とは、それぞれの、自分の内にあるようです。
歩行者の信号は赤、でも、車は見えない。さて、どうする。信号が青に変わるのを待つか。それとも、赤信号でも渡ってしまうか。正しさは、身近なところでも試されています。
あれは、大学の部活動でのことでした。3年生の時、部の役員として部員たちのためによかれと思ってしたことが、現役を退いた4年生の旧役員の人たちに批判されてしまったことがありました。4年生は息巻いていて、3年生のわたしは立つ拠りどころを失い、さびしさに打ちひしがれました。そして、自分の思う「正しさ」にこだわり続けると、周りは離れて行くことを知ったのでした。部は辞めざるを得ませんでした。何が、正しいことなのかは、それぞれの経験の度合いによっても異なるように思いました。
今よりもずっと若い、小学校の教員であった頃のことです。冬休みが終わった1月の職員会議で、年配の先生が、全校の子どもたちの「お年玉」の調査をしようと提案をしたことがありました。子どもたちが、お年玉としてもらった金額を調べようというものです。年々、高額になっていく子どもたちのお年玉の金額の動向を調べ、その結果を保護者に知らせて、各家庭で、お年玉が過剰にならないように働きかけたいとの趣旨でした。それにも一理あります。しかし、わたしは、反対したのでした。お年玉を少ししかもらえなかった子ども、あるいは、全然もらえなかった子どももいるだろう、そのような子どもは、さびしい思いをしてしまうのではないか。いくら、過剰になりすぎたお年玉の弊害をなくすとはいえ、そのことによって、さびしい子どもをつくってしまったら、元も子もないではないか。だから、そのような調査は、学校でするべきではないと、主張したのでした。結局、各学級の判断で、するしないを決めるということになりました。そのお年玉調査を提案した先生は、ある団体の委員で、全県的なお年玉調査の依頼を受けていたとのことでした。何が正しいことなのかは、それぞれが背負っている職責によっても異なるように思いました。
自分の内に宿る正義を、他の人との競合のなかで、自分の人間性を磨く起点とするかどうかは、自分しだいのようです。最近、ある会合で、自分の主張が退けられた時、明智光秀の心境がわかるなあ...と、ぶっそうなことを考えてしまうことがありました。まだまだ、修行が足りないようです。
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