<野菜を育てることと教育>ナスの太郎が、少し成長しました。うれしいです。小さな夢の中にいるようです。5月にはあんなに小さかった種が実を結びました。コンクリートの上のプランターがホームでしたから、夏の太陽の照り返しには、さぞ、難儀したことでしょう。けなげでもあり、たくましさをも感じさせるその姿は、まるで何かを見せてくれているかのよう。その何かとは何か...、しばし、ぼんやりしていると、小学生のときの担任の先生のことを思い出しました。
わたしが小学4年生のときに担任をしてくださったのが三宮先生。年配の方で、誠実な方でしたが、なぜか、理科の時間になると、畑を耕し、野菜を育てることが多々ありました。50年も昔のことですが、先生が暑い日ざしの中で子どもたちの先頭に立って畑にクワを打ち下ろしている姿を思い出します。しかし、当時、先生が、理科の授業をさしおいて、どうしてそのように畑仕事に精を出すのかがわかりませんでした。でも、今、気づくことがあります。野菜を育てることの意味は、主体的な学びの機会をつくることにあったのではないかと。
子どもたちは芽が出るか心配したことでしょう、虫や病気にまけないか心配したことでしょう、枯れてしまわないか心配したことでしょう。心配することで、対象を注意深く観察するようになります。そして、野菜からの声を聞きとるかのように、野菜の世話をしたことでしょう。時は、昭和30年代でした。科学的なことがもてはやされていた時代です。あの昭和30年代に、未来を担う子どもたちへの教育を進める...という視点に立つと、畑で野菜を育てることよりも、理科の実験に力を入れることの方が理にかなっています。しかし、そうではなかったのでした。そのときの先生の思いを想像しつつ、整理してみると、次のようになるでしょうか。
「野菜は自然の所産ではあるけれど、自分だけでは自然の中で育つことはできない。」
「しかし、人が心をこめて世話をすればそれにこたえてくれる。」
「野菜を育てることによって、人に、喜びを知る心が育つ」
ナスの太郎を前にしていると、50年前の先生の心が理解できたような気がしてきました。そういえば、日本は、もともと農業の国でした。日本人の国民性としていわれてきた、勤勉さや誠実さは、先生のような志を、先祖代々の人たちが伝えてきたからこそできたのではないかと思うこともできます。そう思うと、夢はますます広がります。先生、ありがとうございました。