千葉県の、ある小学校の子どもたちから、うれしい便りが届きました。家庭科で、ごはんを炊いて、おにぎりをつくったとのこと。ガラス製のなべで炊いたということですから、手ごたえのある、ごはん炊きとなったことでしょう。子どもたちは、クラスメートとの、かかわりを、また一つつくることができました。故郷ingです。
この学校で、道徳の授業をさせていただいたのは、昨年の11月のことでした。故郷の意味を考えました。写真には、見覚えのある顔が笑っています。見ていると、時間の流れは、逆流してしまいます。...
だいぶ前のことになります。長野県の先生から、道徳の副読本を送っていただきました。その中に、「ふるさと」の意味が解かれているお話がありました。...ある人の話です。その人は、学校を卒業すると、親もとを遠く離れたところで生活するようになりました。今までなじんできた土地を離れての生活です。環境が変わります。気は張ってはいても、さびしくなることもあります。悲しいこともあります。そのとき、故郷のことを思い出すと、がんばれたというのです。とくに、病気で入院していたときには、小学校の運動場での一コマが勇気を与えてくれたのでした。
年をとってから、思い切って、故郷をたずねてみると、自分が子どもの頃にしていた、お堀のそうじが受け継がれ、子どもたちがそうじをしていました。そして、遠い昔の自分もそうであったことを思うとき、自分の心に、また、うれしさがわいてきたのでした。
子どものときの自分は、まじめに生きていました。つらいこともあったけれど、喜びもありました。それを知ることが、大人になった自分の気付け薬となりました。当たり前のことですが、ふるさとは、ふるさとでまじめに生きていたときがあったから、ふるさととなり、後日、それを思い出すことで価値のあるものになります。その道理を、子どものときに知ることで、子どもは日々の生活に意味を見出し、楽しい時間をつくりだすことができます。
手紙をもらった...あの学校で道徳の授業をすることになったとき、このお話を用いて、故郷の意味を知る機会にしたいと思いました。そして、三ヵ月後、学校で、こんなことをしているよというお知らせが届いたのです。それは、まさに、故郷づくり進行形です。
この頃、新聞等で、「ふるさと」のことを古里と書いているのを目にすることがありますが、わたしには、故郷と書いた方が、しっくりきます。どうも「すりこみ」があるようです。思い出してみると、...、中学生のとき、学校で「故郷の空」という歌を習ったからかな。♪...夕空晴れて秋風吹き、月影落ちて鈴虫鳴く、思えば遠し故郷の空、...。生意気盛りの年頃で、まじめに歌わない人が多いと先生は嘆いていました。しかし、今、ちゃんと心におさまっています。先生、ありがとう、です。
故郷を調べてみました。
「故」は、「古」+「攵」。
「古」は古いということです。ある辞書では、古の口は口(くち)で、十は多いという意味。口で代々語り継がれたことをあらわしているといいます。またある辞書では、古の口は頭骨で、その上に十を乗せ、先祖をまつることを表しているといいます。いずれも、生活を積み重ねることが古いということです。
「攵」は小さな木切れを手で持って、軽く、ぽんぽんと打っている様子を表しているそうです。そして、そのことから、「攵」には動詞の意味もこめられるそうです。
そうすると、「故」は、今まで積み重ねてきた生活が、ぽんぽんと胸を打ち、そのことで、心が新たに動き始めることを表そうとしているように思えます。だから、「故に(ゆえに)~」でしょうか。
「郷」は、三つの部分が並んでできています。真ん中は、食物を盛った食器。その両側は、ひざまずいて食物に向き合っている人。だそうです。食べ物をつくり、そこに人々が集う。思えば、そのような生活があって、村ができたのです。
故郷は、人々の生活があってできました。その、故郷の生活をつくり、支えていた自分を思い出すことで、元気が出てきます。あの子どもたちも、将来、思い出すことのできる、いい故郷をつくり出しているようで、うれしいことでした。