公園にある木を見上げると、太陽は木の向こう側で、青空を背景に大きな木のシルエットができていました。影は、想像力を駆り立てます。地表からそびえる幹、伸びる枝。幾年にわたり、風雪に耐え、生きてきたことでしょう。
そう思って見上げていると、ふと、「かげ」は、「影」、もしかして「陰」...、何だか、わからなくなってしまいました。どうでもいいことのようですが、気にはなります。
翌日、調べてみると、どうやら、やはり、この場合は「影」でよいようです。
「影」は、「日」「京」「彡」のパーツを組み合わせてできています。「日」は太陽。「京」は、上部は楼閣で、下部は小高い土地。「彡」は、模様。
「陰」は「阝」「今」「云」のパーツを組み合わせてできています。「阝」は、土の盛り上がった丘。「今」は、上からものをかぶせて捕らえているようす。「云」は、息や空気が立ち上がっていくようす。
ということでした。
太陽の光がつくる模様が、影なのでしょう。そして、立ち上がる気が、何かで覆われてガードされているようすが、陰でしょう。
当日は、ある小学校に出かける途中の公園で、この影を見かけたのでした。学校では、2年生の学級で、命の大切さと思いやりをテーマに、道徳の授業の公開研究会が行われていました。まずは、資料で、世界には、貧困や戦争の犠牲によって、食べることさえままならない子どもたちのいることが紹介されました。
子どもたちは言いました。
「お店がなくて不便だ」「おなかがすいても、がまんしている」「おなかいっぱい食べられないね」「食べ物も洋服もなくて大変だね」「自分たちはむちゃくちゃぜいたくだ」「同じ地球の子どもとは思えないくらい」「戦争なんてなければいい、戦争で何が生まれるの」
聞いていると、次第に、子どもたちの心に、感想をもとにして、自分の意思が形成されていくのがわかります。
それは、その日の朝見かけた大きな木のシルエットのようでもありました。光は見えません。しかし、木にさわることで、木の模様になりました。心もつかみどころがないものです。でも、資料に触れることで、人を思う美しい意思を形作りました。また、ひとりではなく、みんなで自分の思いを出し合い、重ねるので、より、その輪郭がはっきりしてきます。
授業では、その後、フィリピンの貧しい地域に学校をつくる活動をしているNPO法人の方が登場して現地の子どもたちのようすを説明し、現地の子どもたちからの手紙が手渡されました。若い方でした。しかし、その方の、子どもたちを見つめるまなざしと、はつらつとした言い方に、力強く生きていること、そして、心にすがすがしいものをもっていることを感じました。子どもたちを幸せにしたい、そのために、国境を越えても自分にできることをしたい、という思いが、ひしひしと伝わってきます。ここにも、その日の朝見かけた、大きな木のシルエットが重なります。美しい心をもった人の、大きさを感じるのです。そして、そのようでありたいとも思いました。
学級の子どもたちは、フィリピンの子どもたちからもらった手紙を手にしました。現地の子どもたちが書いた文字をNPO法人の方が、日本語に訳してくれたものです。うれしそうでした。そして、子どもたちは、「仲よくしたい」「悲しいことを思い出させないように、気をくばってお返事の手紙を書きたい」と、言っていました。子どもたちの心に、「はげましたい」「それが自分にもできる」という意思が形作られているようでした。
まさに、光が、心に、美しい模様をつくってくれた時間でした。わたしも、雪が解けたら、東日本大震災のボランティアに出かけることにします。