韜晦(とうかい)する ゆぶろ+みそか+動詞
2013/02/12
二月は寒さが一番厳しいとき。その中で、沈丁花がつぼみをふくらませ続けている。昨年の12月ごろから、ずっとである。でも、そのつぼみの中に春への高まりを感じる。
先日、読んでいた小説の中に、「韜晦(とうかい)した」という言葉が出てきた。何とも耳なれない言葉だ。二十代のころ、わからない言葉があると、メモをしている人に出会った。その人の生き方が何ともうらやましく、わたしも真似をしたいと思った。そして、いつの間にか、小説を読んでいて、わからない言葉の出てくることが、喜びとなった。この「韜晦」に出合ったときもそうだった。
漢和字典をひいてみると、韜(とう)とは、弓を入れている袋のことで、ゆぶくろ。晦(かい)は、旧暦の三十日(みそか)のことだった。
古代中国の弓は、日本の弓のようには長くはなかった。ふだんは、弦をはずして袋に入れ、それを腰につけて持ち運びをしたらしい。その、弓を入れる袋が韜(とう)というのだ。
また、旧暦は月の満ち欠けを暦にしていた。月の形ができ始めて、無くなるまでが三十日。まん中の十五日目が満月となる。三十日は月の形がなくなって真っ暗闇。その三十日のことを三十日(みそか)といい、晦日とも書く。
その、韜と晦とを合わせて、韜晦(とうかい)するという動詞にした。この言葉にどのような意味をもたせたのだろうか。ここからの推量が、楽しくなるところだ。
弓は武器となるものだ。それを袋に入れる。袋の中は真っ暗闇。その意味は、漢和辞典では、自分のもっている才能や知識をかくして人に知らせないようにする...ということだった。
なるほど。そういうことだ。ときには、そうすることが、自分を保つのに大切なことがある。現代は、自分を人に知らせ、自分を認めてもらうことに主眼がおかれているけれど、それによって、人にいやがられたり、ねたまれたり、危険視されたりすることもある。そのようなことを感じたとき、韜晦する、という生き方は、自分をも、人をも守る生き方となる。それも、未来を志向する美しい生き方、といえよう。
人生は、なかなか、思うようにはいかない。鬱々した自分に立ち向かうと、ますます、つらいことになってしまう。自分が自分に弓を引いていることになるのだ。そのようなときには、悩める自分を袋に入れておくのがいいようだ。生きていれば、いつか、袋を開けるときもあろう。
沈丁花のつぼみも、そうあらんことを示唆してくれているようでもある。つぼみは、つぼみで美しいと。
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