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渡邉達生の研究室便り

明るくなること 信頼・友情ということ ①

2015/01/14

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先日の1月7日の夜。わたしの誕生日の前日の夜でしたが、大きなお月様が東の空からのぼりました。まるで空から落っこちそうで、ありがたく、その姿を写真におさめました。

ずっと昔の人は、お月様の姿を見て「月」という文字をつくりました。月の見事な姿は、何といってもこのような月の満ちた姿でしょう。でも、「月」という文字は満月からではなく、三日月の形からとっています。満月では「○」となってしまって、他の形との区別がつかなくなるから...。いや、三日月は、これから満ちる月。その、満ちる勢いを身に潜めていて、新進の価値がある。...満月もよし、三日月もまたよし、...です。

 さて、昔の人は、その「月」という文字を用いて「明」という文字もつくりました。「明」は、お日様とお月様が並んでいるという構図ではなく、お月様の光を窓から取り入れる、という構図です。「日」は窓の形です。いわば心の窓。心に、明かりとりの窓をつけると明るくなるよ、ということですね。お月様は、見るほどに心を照らしてくれます。

先日、熊本市のある小学校で、「信頼・友情」をテーマにした、小学4年生の道徳の授業研究会が開かれました。「信頼・友情」は奥の深いテーマです。「いじめ」にもかかわってくることです。その、原因や対処に向かっての理解を深める、いい機会でした。

道徳の授業をしたって「いじめ」はなくならない、と豪語する方もいますが、それでは心もとないです。心に窓をつければ光明が見えるのです。先日のテレビのドキュメンタリー番組で、中高生がいじめにあって自殺をした、しかし、学校側は自殺とは認めていない、と報じられていました。その番組を見ていて、そのような学校には信頼がもてないと思ったのは、わたしひとりだけではないでしょう。ここには、信頼はありません。そういう学校であるから、そうなってくる、といえます。学校には、「信頼」の意味を改めて浮き彫りにする努力が求められています。幸せのお使いをしてくれるはずの、スマホのラインや、携帯電話のメールが、悪の手先と化し、悩んでいる子どもは多いのですから。

信頼とは何でしょう、友情とは何でしょう。平常時に、このような思いをめぐらせてみることはありません。仲間から裏切られたり、冷たい仕打ちを受けたりしたときに思うことが多いです。それらのとき、心はナイーブになっています。悲観的です。心のベクトルは深海を進む潜航艇のように、光を感じない世界をさまようのです。建設的になれるはずがありません。だから、平常時に思うことに意味があります。人は、平常時には、自分の心に窓をつければ、いくら暗くても光を見出すことができる、そのようにできています。

 さて、そこでの資料は、『大きな絵はがき・4年』(東京書籍 ゆたかな心で)でした。
正子と広子という二人の友達の間に起きたできごとが、話題です。正子は転校しました。その正子から、広子に、旅先で買った絵葉書が届いたのです。今度、一緒にここに行こうよ、と。ところが、その絵葉書が大きくて定形外であり、料金不足で、広子は未納の料金を払うことになりました。広子はそのことを正子に告げるかどうか悩みます。広子のお兄さんは言った方がいいと言うし、お母さんはお礼だけでも言った方がいいのではないかと言います。広子は悩みますが、ついには、正子さんならきっとわかってくれると思い、手紙に、絵葉書の切手が料金不足であったことを書くことにする、という内容です。

 さてさて、正論でいえば、悩む必要はありません。このようなときには料金不足を告げる、となります。相手が友達であろうがなかろうが。それが、正しいことです。ましてや、友達であるのですから、友達のことを思い、切手が料金不足であったこと、不足分を支払ったことを告げるべきです。しかし、そのように、「正しいことを友達に告げましょう」では、友達関係に悩んでいる子どもにはなんの支えにもなりません。かえって、突き放すだけでしょう。いじめられて落ち込んだことのある子どもには、そんなことをしたら、かえってよくないことが起きるという思いが脳裏を走るでしょう。怖くて、そのような正論を、自分の行動の規範にしようとすることなど、できるはずもありません。絵に描いた餅として、聞き置くだけです。生きる力への志向は生まれるはずもありません。

 このような場合、料金不足を告げるという正論に従う、それはそうなのですが、その姿勢に至るまでに生じた「迷いや、迷いをふり払えたこと」を、興味をもって明らかにし、「人間の美しさ」を知ることで、生きる力は育まれるのではないでしょうか。

授業では、おもしろいことが行われていました。その資料を読む前に、先生が子どもたちに、ある事例を投げかけたのです。
○友達が、宿題を忘れて来たので写させてほしいと言ってきたら、どうする?
あなたは、①注意をして友達を助けない、②注意はひかえて友達を助ける、のどちら?
 
 そう、先生から投げかけられた子どもたちでした。さて、子どもたちは、どう出たと思いますか? 正論でいえば、そういうときには、たとえ相手が友達ではあっても、①の「注意をして友達を助けない」と、答えることを取るでしょう。そうすることが、友達のためであることは、だれが考えても、火を見るより明らかなことなのですから。そして、全員がそうであるとき、この学級社会には規範意識は育っている、となるのです。

ところが...実際は...。
①注意をして友達を助けない...15人
②注意はひかえて友達を助ける...13人
でした。

さてさて、これをどう扱うかです。一般論でいえば、友達が宿題を忘れて写させてほしいといってきたとき、①の方であるべきです。それが、正しいことです。それは、小学1年生の子どもにもわかることです。小学4年生に、わからないはずはありません。でも、その子どもたちの28人中13人、割合でいうと、46パーセントの子どもたちが、正論ではなく、②の、注意をしたりはしないで宿題を写させてあげる、を支持したのです。

これを見て、だめだよ、それはいけないよ、①にしなければ、と子どもに説諭をする教師であったなら、もう、ここで話は終わりです。そんなことでは、道徳の問題を問題にすることはできないでしょう。子どもたちは、そんなことはわかっていて、しかし、そうはできない、自分の思いを訴えているのですから...。

これは、前回紹介した、「アンパンマンとばいきんまんは友達か」、という選択肢のとき、2年生の子どもたちの全員が「友達ではない」と言い、4年生の子どもたちの約80%が「友達だと思う」、6年生の子どもたちの約70%が「友達だと思う」と言ったことと、相通じるものがあります。どうでしょうか。

2年生の子どもたちでしたら、この、
○友達が、宿題を忘れて来たので写させてほしいと言ってきたら、どうする?
あなたは、①注意をして友達を助けない、②注意はひかえて友達を助ける、のどちら?
という投げかけに、全員が、①を選ぶことになるでしょう。

このことは、何を示しているのでしょう。2年生のときには、正しいことは正しいのだから、正しいことをしなければ、という気概をもっているのです。それまでの、親や、先生からいわれていることに納得し、多少の抵抗はあっても、そのようでありたいと思うのです。しかし、子どもたちは、それ以降も、世間の中で生きる営みを積み重ねて行きます。そのことで、思わぬ展開に直面することになるのです。

いじめられたり、いじわるをされたり、悲しい思いにさせられたり、裏切りにあったり...。

自分が正しいことを主張しても、人には、生意気だとされたり、嫌味を言われたりすることがある。心に余裕がなくてせっぱつまっているとき、人には、正しいことを正しいと受け止めてもらうことはできない...。それどころか、かえって、痛烈なしっぺがえしをくらう。いくら、弁明しても、それは言い訳の域を越えることはなく、かえって、嫌な奴だというレッテルを貼られてしまう。

そのような、人が生きることの醜さをも、身をもって体験するのです。そして、それを、薬として生きて行こうとするのも、当然のことです。それは、人間が人間になって行く道を通っている、ということです。だから、先の事例で、2年生であれば、全員が①を取るであろうところを、4年生になると、46パーセントもの子どもたちが、①の対極にある②をとるようになったのではないでしょうか。この事実は、子どもたちは、非行に向かっている...、のではなく、困難な中で生きようとしている、ということを示しているのです。

この学級の先生は、そのような状態を浮き彫りにしました。しかも、①を良いこととし、②を悪いこととする、のではありませんでした。それでこそ、道徳の時間となるのです。いい場面を、先生はつくられていました。この研究会は、やる気のある若手教員を、教育委員会が後押ししている会です。さすがに、先生の、授業の本質をついた取り組みに、心を打たれました。子どもたちが、知らず知らずの内に心の中に形成している自己矛盾を明らかにし、それをどうしたらよいかと課題にして行くのです。

また、そのような自分を、学級のみんなに打ち明けていくことができる子どもたちも素晴らしいと思いました。きっと、日ごろの学級生活で打ち解けあっているのでしょう。先生に、その手腕があるからこそ、このような子どもたちの姿を見ることができるのだと、思いました。子どもたちは、明るさを求めている、心に窓をつくっている、そう感じさせてくれました。

さて、その窓に、見せるもの、それが、今回の資料『大きな絵葉書』となります。それがどうであったかは、次回に、紹介して行きたいと思います。

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