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3.11東日本大震災から12年〜私たちは何事にも当事者である〜

3月11日(土)の今日で東日本大震災から丸12年となります。本校では3月10日(金)に1、2年生に『東日本大震災の講話』の時間を設けました。

今の高校1、2年生は、東日本大震災の当時3〜5歳。

あの震災直後の日本を直に感じ、動揺し、錯綜する報道に「これから日本はどうなるのだろうか」と多くの日本人が感じていた日々の記憶はほとんど無いものの、小〜中学校で震災の事を学ぶ機会は多くあったようです。

今回、講話を担当した本校の黒澤は、福島県出身であり、当時中学3年生で東日本大震災を経験した1人です。

すぐに妹の安否を確認したこと。中学校の卒業式を間近に迎えていた時の震災。高校入学後、新制服が届かず、中学校の制服で過ごしていた高校生活。

「10年以上経った今、初めて自分の言葉で人に話す日が来た」
「海岸沿いに人の遺体が200〜300体打ち上げられている」
「見たくない現実と見なければいけない現実と向き合った日々」
「体内の放射線の残量検査を続けている」

 

▲東日本大震災で亡くなった方の数、今現在も行方不明の方の数
本校の所在地である那珂川市の人口(約5万人)や2学年の生徒数を例とし、どれだけの人が亡くなり今も尚行方不明と想定できるのか、などを理解した。

▲あのとき、大川小学校で何が起きたのか
全校児童108人のうち、実に74名の死亡・行方不明者を生む大惨事の舞台となった宮城県石巻市立大川小学校の話を元に「自分で判断、決断、行動することの大切さ」を生徒教職員ともに再認識

困難に対して何もできない自分
大事だと思うことを続けたけど、これで良かったのか分からない自分。

常に迷いがある。

黒澤は講話の最後に、この言葉を伝えつつ「何事にも当事者意識を持ってほしい」と生徒教職員へメッセージを伝えました。

【生徒の振り返り(一部抜粋)】
中学校でも毎年学んできたことだけれど、高校生になって見ると今までと違った、色んな目線で見ることができた。
被災した高校生が転校した学校でイジメにあっていたなんて知らなかった。
大川小学校で起きた悲劇から、日本は上の人の判断や決定を待ち、いつまでも決断が遅い社会なのだと知った。
被災された人の全てを理解しきることはできないけれど、理解しよう、分かろうとする姿勢は持ち続けなければいけないと思った。